『サロメ』再見&アフタートーク

 2012-06-03
Deep Purplinです。またまたのブログジャックでの『サロメ』3日目&アフタートークのレポートです。

ネタばれにならないようにあまりハッキリは書いてませんが、それでも舞台を観ての感想やら勝手な解釈やらが書いてありますので、そういうものを遮断したい方は、あまりジックリ読まないほうがいいかと思います。

2回目の多部『サロメ』観劇。今日は1階最後列から1つ手前の右手側の席です。距離が遠いため引きで観ることになるので、サロメ姫以外の登場人物の台詞の意図をつかもうかなと、サロメ姫の台詞を中心にしか読んでいなかった平野本ですが、これまでに読んでいなかったあたりを行きの電車で少し流し読みしてました。

そう思ったのには、800円の割には今ひとつのプログラムのなかで、宮本さんがヨカナーンの言葉は新約聖書だけでなく、「ヨハネの黙示録」や旧約聖書からも借りてきていて、ワイルドはそれらの意味を微妙にずらしていって逆の意味にしたりして、背徳的な宗教劇にしていると書いてあったこともありました。

そうしたら、平野本50ページ中央のヨカナーンの台詞はヘロディアに言っているようでもありながら、「バビロンの娘よ!」と呼びかけていて(序盤で、ヨカナーンはサロメを「バビロンの娘」「ソドムの娘」と呼んでいる)、内容としてはこの戯曲のサロメの行く末を言い当てていることを発見! そうするとラストのサロメの「わたしを淫婦みたいに、まるで娼婦みたいに扱って」という言葉への違和感も氷解しました。最初の二人の絡みではヨカナーンはそこまで強く言ってなかった気がするんですよね。(50ページの台詞とラストのサロメの台詞との関係は平野本の注にも書いてはありますが。)

というわけで、今日は双眼鏡で多部ちゃんを追いつつ、ワイルドが台詞に込めた意味も何となく感じられたらいいなというような気分で席に着きました。

初日は左側から背中を拝むことになったシーンが、今日は表情を観ることができ、初日と合わせてバランス良く楽しむことができました。最前列中央はかなりいい席であるのは間違いありませんが、そこからは奈落のプールでの多部ちゃんのある演技が見えませんし、どこの席にも見せ場があるように、かなり工夫して芝居を組んでいるように思います。

2回目ということもありますが、やっぱり距離が遠いせいでしょうか、ラストの盛り上がりの中での感情の揺さぶられ方は初日ほどではありませんでした。

ただ、初日には感じ取ることができなかったものを感じ取った場面もありました。サロメダンスのクライマックスでちょっとしたギミックがあるんですが、それが初日よりも少し大量に、また長くあったようなので、ちょっとエロチックなことを想起させました。

そう感じ取ったのは、サロメにとって、このダンスは、踊り終えれば、ヨカナーンを自分のものにできる歓喜のダンスであり、そのことを知っているのはただサロメ一人であるという、そんな感覚でこのダンスを観ることができたからなのですが、それは初日にダンスのあとサロメがヘロデに褒美をおねだりするまでの多部サロメの言葉で表さぬ演技を観ていたからだと思います。このあたりは平野本には当然、何も書かれていませんから、一度舞台を観たことで、芝居の見え方が変わったわけです。

ダンス中にも半透明の衝立に映る影でヨカナーンと一体に結ばれていくことを暗示する映像的な仕掛けもあるのですが、初日よりもそれが、そういう意味合いをもつようにより印象に残りました。

それから、ヨカナーンの生首を待つ間に、銀の大皿を抱えてうっとりする場面では、銀の大皿=月=ヨカナーン(これはプログラムに書いてありました)と思えば、ここでサロメとヨカナーンはサロメの心(妄想)の中では一つになったとも見え、とても官能的に見えました。

熊のぬいぐるみは「やりすぎ」というつぶやきも見かけましたが、熊のぬいぐるみを抱えていた小娘が、終盤で銀の大皿(好きな男)を抱えているというシーンは、愛し方を知らぬ少女が愛に目覚め大人になった(ただし異常なかたちでその愛を成就した)ということを視覚的に表しているように感じました。

そういう象徴がいろいろ散りばめてあるのだろうし、それゆえにつくり手の意図を超えて観る者が勝手にそういう思いを馳せることができるように、多くのものが詰まっている舞台だということを改めて感じました。

そうすると今度は、ヘロデ王が、サロメが踊る直前にテーブルの赤い薔薇の花を見て、血の染みのようだと言って投げ捨てたあと、「目に触れるものすべてに、イチイチ、何かの象徴を見るべきではない」(平野本 p.60)という台詞が逆説的で、戯曲全体について自己言及的であるように響きました。

作品全体としても、ヨカナーンは不吉なことが起こるとか、お前は呪われているとか言い、ヘロデ王やヘロディア妃も死や敗北を恐れいているけれども、サロメはそんなものは恐れていないが、長生きをしても愛に忠実でない人生を恐れているような感じがジワーッと伝わってきました。サロメダンスの妖艶さと首切りの猟奇性を抑えたことで、本当に味わい深い作品になったと思います。

ルートさんが書かれている不思議な遠近感は、初日は168センチしかない成河さんが大きく見える不思議も引き起こしていましたが、今日、引きの位置から見てみると、多部サロメ姫が一人プールサイドに立つと、とっても大きく見える不思議も味わいました。

今日の多部ちゃんは、3回ほど台詞を言い直したところがありましたが、やはり安定した演技でした。

終演後の挨拶は、初日に座った左手最前列からは、奥田さん、麻実さん、成河さんが出てきたのが、目の前に立ちはだかる多くの屈強な男性陣による皆既日食状態で見えなかったのですが、今日はちゃんとわかりました。そのあとのカーテンコールは、アフタートークの準備があるからでしょう、今日はありませんでした。



さて、ルートさんのところにもレポートのある今日のメインイベントのアフタートークです。

いったんロビーに出され、ルートさん、tdoiさん、かよさん、nekoさんと歓談。そのあと、今日のチケットを持っている人は、その席に座るように言われ再入場。全員着席した頃合で移動解禁とし、2階席や今日以外のチケットを持っている人を入れるという段取りであるとアナウンス。通路に出にくい自分の席に一旦座ったのですが、これはライアーゲームよりも無法な「イス取りゲーム」であることに気づき、トイレに行く素振りで、何人かの方の前をごめんなさいして、通路へ出てスタンバイ。

移動解禁となる前に動きやすいところに動いてみたら、あと4回の観劇でも座ることはかなわぬ憧れの中央ブロックの最前列やや右側が空いているではないですか! これを逃したら、一生悔いがついて回ると思い、移動解禁になったところでダッシュで階段を駆け下り(私より少し年上かもしれないおじさまと軽くボディコンタクトしてしまいました。すみません)、その場所へ。

座ってみたら、舞台は片付けと掃除をしているため、アフタートークの出演者は目の前の丸椅子に座ることが判明。さらに良く見ると、出演者用のミネラルウォーターのペットボトルのうち3本だけは、フタを開けてストローが差してあり、1本は私の左手遠く、そのうちの2本は私の目の前と右斜め前(ここが右端)。恐らくその3つの椅子が女性用で、新国立劇場の芸術監督の宮田さんが左手遠く、目の前の2つは多部ちゃんと麻実さん。しかし主演の多部ちゃんが右端のはずはないので、目の前に多部ちゃんが来るのではと、心臓がバクバク。よく見ると、かよさんとnekoさんもいつのまにか中央ブロック最前列左端に座り、やはりソワソワ状態。その向こうにはルートさんとtdoiさん。すまん、許して。

司会の中井美穂さんのあと、まずは宮本さんと宮田さんが入場。

電波の武者さんにマシンガンみたいにとか、ルートさんに知り合いと思われたくない姿と言われるような絵であることはよーくわかっていますが、なりふり構わずメモを取りましたw

以下、多部ちゃん以外のことまで書きすぎと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、2回の観劇を通して、作品自体とつくり手の想いにも興味が沸いてきているので、私自身が面白かったということで。

なおテープ起こしではなく、メモをもとに書いているため、キーワードだけ書いたところを私の言葉で埋めているところもあり、言葉の詳細の文責は私にあります。中井さんの質問とかを省略してるので、話が飛んでる感じのころもあります。(それと舞台は『農業少女』と『サロメ』しか観ていないような人間ですので、基本的に演劇について無知なのを丸出しの部分があるかと思いますが、その点はご容赦ください。)

宮田さん
 今年のJAPAN MEETSという企画で、近代以降で日本に衝撃を与えた演劇をやるということで宮本さんに相談したところ、『サロメ』をやりたいと言われ、「おーっ、キターー!」と思い「是非に」と。古い作品ほど新訳がないのだが、現代的な意味での新しさということでなく、「舞台にふさわしい」という意味での「新たな言葉で」と思い、平野啓一郎氏に当たって砕けろで新訳を頼んだら、OKをもらい、本当にスゴイ舞台になった。

宮本さん
 三島由紀夫の『金閣寺』をやり(自身が芸術監督を務め横浜での『金閣寺』と今回の『サロメ』のつながりは平野本にもある通り)、その三島の『憂国』という映画での血に染まる場面が頭にあり、ムズカシイが、ここでやらせてもらった。『サロメ』には、いろいろなやり方や演出があり、最近では核シェルターが出てくるものもあったりするが、サロメとは何なのか、オスカーワイルドの生き方、何を書きたかったのかを掘り下げたいと思った。

 新国立劇場は普通のコロセアムではないので(奥行きがすごく大きく、「サッカー場」と呼んでいると宮田さんが自虐的にフォロー)、舞台をつくりにくくて、実は演出家にとっては難しい劇場。水を入れてもいいと新国の技術者に言われたので思い切って、水も入れた(宮田さん曰く「みんなで腹をくくった」)。

 通常、『サロメ』ではヨカナーンの姿は見えず、声が音だけで聞こえるが、ヨカナーンの言葉には意味があり、それを伝えるには、相手との関係性として、生の人間がその場で発する言葉が欲しいと考えた。

 その上で、舞台の上の人間と、舞台下のヨカナーンの間には断絶があり、決して会えないという関係。舞台上の鏡は視線の演劇『サロメ』の象徴。ヨカナーンは神を見、ヘロデはサロメを見るが、登場人物はそれぞれ、視線がズレていて、それが最後の「愛の神秘」につながる。また鏡はナルシズムとも関係。ナルシズムというと、自己陶酔を連想するが、そうではなくて、自己確認という意味で、自分を見つめる。(ナラポートも水面に映る自分を見るのが好き。←中井さんのコメントだったかも)

 最初に台本を見たとき、台詞が重いと思った。そして、どこでサロメはヨカナーンに魅かれたのかなど、ワイルドが生きていたら教えてもらいたいと思うところばっかり。この作品は、サロメのダンスばかりに焦点が当たっていたが、ワイルドは時代背景として「女性の自立」を念頭に置いていて、単純に「魔性の女」を描きたかったのではないはず。

宮田さん
 実は、宮本さんの話を聞く前から『サロメ』について、自分も同じ考えをもっていた。サロメは少女でなければならないと思っていた。あの母親のように自分もなるのではないかという気持ちをもっている。そんな少女のもつ女性(「じょせい」ではなく「おんな せい」)をこの作品に感じていた。なので、宮本さんの『サロメ』観を聞いて、「よしっ」と思った。

宮本さん
 三島由紀夫の『サロメ』も岸田今日子さんで少女っぽく描いてはいた。サロメはスポイルド・チャイルドとはよく言われているし、父が12年幽閉されていたことは知って生きてきた、愛し方を知らない、外の世界を知らない。

宮本さん(中井さんに、平野氏への新訳依頼時に決まっていたキャストを問われ)
 多部ちゃんは決まっていた。

宮本さん(多部ちゃんのサロメというのは「エッ」という感じと返され)
 なんとかワンコとか?(場内爆)
 翻訳中、平野さんはキャスティングは気にしていて、「誰と交渉中か?」とかはよく聞いてきた。実は『サロメ』の原作は仏語版も英語版もシンプルで、それとは別の日本語版の『サロメ』があった。

宮田さん
 公演に使われることが決まっている訳づくりは、平野さんも楽しかったり、励みになったのではないかと思う。

宮本さん
 いろいろなナントカ人が登場するので、ナントカ人の研究者、学者を何人も稽古に呼んで、時代背景や当時何を考えていたのか勉強会を何度も開いて、根掘り葉掘り聞いた。あんまりしつこいから、専門家も怖がっちゃったくらい。

ここで、シャワーも浴び、私服に着替えた奥田さん、成河さん登場。

奥田さん(中井さんに役への入り方を問われ)
 芝居によって違うし、役者によっても違うが、今回はヘロデに近づくと同時にヘロデの首根っこをつかんで自分の中に入れようとしていた。それがやっとできたのが今日ぐらい。あと三日したらヘロデを食べられそう。

成河さん
 まず『まんがで読破』の聖書を読破した。稽古で読解と解釈に長い時間を費やしてもらった。正解というものはないが、いろいろとつかむきっかけになり、本当に有難かった。
 ヨカナーンの言葉は、新訳聖書と旧約聖書のパッチワークになっていて、それによってまったく違う意味をつくり出し、意味が逆になるぐらいのものもあり、そこにワイルドの狙った諷刺やキリスト教批判がある。

宮本さん(中井さんに、今回どういう『サロメ』をやりたかったのかと問われ)
 別に新しくはない。もう一度、原典を紐解くという姿勢。ワイルドは何を書きたかったのか、それを一字一句おろそかにせず追究した。聖書にのっとった話としての古典劇をやろうとすると「アレッ」というところがある作品。聖書が書かれた時代とワイルドの生きた時代に2000年の開きがある。

 ワイルドが何を書きたかったのかは「女性」「宗教」「時代の変革」といったものではないか。ニーチェが「神は死んだ」と言った時代であり、既成概念を破るということを意識していたと思う。そして、サロメは「愛を語っている」のであり、それが最後の「死の神秘よりも愛の神秘は大きい」に集約される。愛し方は歪んでるかも知れないけれど。しかもそれをヨカナーンは予言している。

成河さん
 「あの女を殺せ」をヨカナーンは予言しているんですよね(行きの電車のmy発見とシンクロナイズ!)。(中井さんに「どこ」と聞かれ)それはいいから。麻実さんに教えてもらって知ったんだけれども、ヨカナーンの言葉に出てくる「青い無花果」というのは童貞の男性の性器だとか、いろんなものが込められている。

ここで、ついに多部ちゃんと麻実さん登場。多部ちゃんは白のブラウスに、黒のデニムのスリムなパンツ、甲の部分にアクセントのキラキラが光る緑のパンプスでした。

多部ちゃんが目の前かと期待していたわけですが、宮田さんが気を遣って右端に移ってきたため(あとで多部ちゃんはストローなしでミネラルウォーターを飲む羽目に)、正面は麻実さんで、多部ちゃんは2つ左隣の席の真ん前になりました。とはいえ、直線距離にして席2個分×ルート2ぐらいの場所に多部ちゃんです。

多部ちゃん(中井さんに「たくさんのお客さんが入っています」と挨拶を振られ)
 緊張します。(麻実さんが、優しく「ミカコちゃん」と言葉をかけたのが印象的でした。)

奥田さん(中井さんに、苦労したことはと問われ)
 苦労したことはありますが、泣いてはいません。でもそんな気持ち。役者というのは、演出家をぶっ殺したくなる。演出家が言ったいいことを自分の血と肉にする。我が身を捨てることからしなければならないが、残像は残る。自分の毒を吐き出しながら、宮本亜門という毒を入れるのが大変だった。

多部ちゃん(中井さんに、過去の『サロメ』は見たりしたかのようなことを問われ)
 You Tubeで(場内爆)ちょっとだけオペラのサロメを見ました。そしたら、あの、あまりにお色気ムンムンで。あれっ、何で私が?って。

 (見たのはいつ?と問われ)話を受けてから。何も知らずに。(宮本さん、「えっ、受けてから見たの?」と大受け。)あ、宮本亜門さんだ、と思って受けて。

 (役づくりについて問われ)言葉が難しいけど、台本はだいぶ言いやすくなっていて。「今どき」だなと感じました。You Tubuの(場内爆)とは違って、官能的というのをイメージしないでできた。難しい台詞の意味を捉えたりとかは、今でも難しいところがあります。

 (サロメはどんな子と問われ)「変わったコ」(場内大爆笑)

中井さん ぬいぐるみなんか持ってますしね。

宮本さん (多部発言に大受けで)「変わったコ」ですから。

中井さん ○▲☆■▽×...(ややお決まり的に多部ちゃんの演技を褒める)

成河さん (多部ちゃんに向かって)「ありがとうございます」と言えと小声で催促

多部ちゃん(「ありがとうございます」と小声で催促を繰り返す成河さんを受けて)
 ありがとうございます。(中井さんの褒め言葉のあとの質問を受けて)舞台は稽古場と違うんで、毎日緊張します。

麻実さん
 変わったコの母、悪徳の母です。しばらくいいお母さん役が続いていたのに、前の舞台に続いてこういう役。ミカコちゃんと一緒で、受けてから大変と思いました。起承転結の真ん中を抜いたような舞台なので、ナントカカントカ。長い稽古を経て、今はヘロディアを愛してます。これは大変ですね。

宮本さん(中井さんの振りを受けて)
 誰も私に染まってませんよ。染めようとも思ってない。稽古に1ヶ月ちょっととれたのは恵まれてました。稽古場と本番の舞台が同じところにあって。

と、こんな感じで進み、予告されていた質問タイムに。ルートさんからご報告の「しでかしディープ」の顛末です。

最初の質問は、プロになりたいというお嬢さんのそのための練習法は?に、奥田さんが、練習法はない。今こうやって手を上げて質問をしたように、自分を表現する、自分を信じることと回答。

この質問を聞いて、多部ちゃんに振るような質問が出てこなさそうなことを強く予感。

次の質問のときは、最初のときよりも手が上がったような感じで、かよさんも手を上げていたので、自分も手を上げてみました。後方では元気に「ハイ」とアピールする声も。

ここで指されたのは、かよさんのすぐ後ろの女性(成河さんファンで12回観る方だとあとで判明)。ヨカナーンの生首に関する質問で、最終的には毎日キスをする多部ちゃんも巻き込んでのスゴイ傑作なやり取りがあって、最後には多部ちゃんが「(サロメは)スゴイ役ですね」とコメント。ただし、この件については観てない方にとって、舞台で実際にどう表現されるのか謎のままのほうがいいと思いますのでスキップします。

かよさんの傍の方が指されて、その周囲を指名する確率が下がったような雰囲気のことを中井さんがポロッと言ったので、多部ちゃんに振る質問が出る確率も下がったような気がしたので、もう少し目立つように手を上げました。

三番目の質問は、これはネタばれしてもいいと思いますが、客入りしてから開演の間、舞台下の牢にヨカナーンがスタンバっていて、ウロウロ歩くことについてで、成河さんが「自分から提案したら、宮本さんが承諾してくれた」とのこと。実は宮本さんもやりたかったけど、開演前に集中できないかもしれないし、役者さんにそれを要求するのはやりすぎかと思って遠慮していたら、成河さんから言われたので、即座にOK。成河さんは、楽屋にいるよりも、あんなに集中できる時間はないとのこと。

あと質問が二つぐらいかなと思ったので、何とか多部ちゃんに振る質問をと思い、ここで思いっきり手を上げアピールしましたが、後方で元気に「ハイ」を連発していたと思われる年配の方に。(中井さん「おじいちゃん」と失言。)

この方が、質疑応答で演説をしてしまうタイプの人で、奥田さんが最初に挨拶で「いかがでしたでしょうか」と言ったので、それに答えると、今日は席が悪いからわからない、何日だかにはいい席で見るからそのときにわかると思うが、これだけの人がそろっているのだからいいに決まっているのはわかっていると上から目線の前口上。ゴチャゴチャ言ったあと、宮田さんに、宮本さんを指名した最大の理由はと質問し、そのまま続けて日本には女性の芸術監督がナントカさん以降いないけど、どうのこうのと持論をぶって、なぜだと思うかという質問、さらに続けて、主演のキャストは演出家にも相談しないと宮田さんだけでは決められないと思うが、多部未華子さんというのは失礼ながら、『なんとか少女』に出ていたことぐらいしかしらないが、こういう若い人、若くて綺麗な人をどうやってキャスティングしたのか、さらに続けて、(中井さんの「もういいでしょ」に耳も貸さず)演出家は台詞を全部覚えないと統括できないと思うが、どの段階で全部入るのか宮本さんに聞きたいとやりたい放題。

宮田さんの宮本さんを指名した理由は当たり障りがなくて忘れました。監督については、自分は女っぽくはない。局面局面で判断していかないといけないことが多く、男前みたいに言われますみたいなことを答えていたような気がします。

宮本さんは台詞は全部覚えてはいませんと一蹴。多部ちゃんのキャスティングについても当然、宮本さんが答え、多部ちゃんが大好きです。『農業少女』を観て、この子面白いと思った。純粋なものをオブラートにつつまずストレートに出していて、新しいサロメには多部未華子しかいないっ!と。実はなんとかワンコは見てません。テレビは知らない。テレビに出ているか出ていないか、どこの事務所かとか、そんなことはどうでもよいんです私は。

このあとダメもとで大きく手を上げてアピールしましたが、質問打ち切りとなりました。

謎の老人の演説ですっかり時間をロスしてしまい、中井さんが、簡単に終わらせてくださいと強いオーラを発して、最後の一言に。

宮本さんは意表を突く簡単な発言で笑いを取りました。奥田さんは、この座組みはとっても良くてどんどん良くなると思うというようなことを言った気がします。成河さんは、毎日発見があって、どんどん変化していくと思うというようなことを言った気がします。

そして多部ちゃん。「何を言ったらいいか...」と下を向きました。モヤモヤとは言いたいことがあるんだと思いますが、中井さんの「簡単にプレッシャー」や、それまでも多部ちゃんは控えめにしか話をしていなかったのに、前の3人がコンパクトに終わっちゃったんで、0.何秒のことなんですが、簡単に終わらせるか迷っているように見えました。

是非、お決まり以上のことを喋ってほしかったので、ここで不規則発言をいたしました。すみません。事前に宮本さんも多部ちゃんも「舞台で遊ぶ」ことを課題と言っていたので、「舞台で遊べてますか?」と。指されたらこれを聞こうと思ってましたが、このときは、これに答えてもらいたかったわけじゃなくて、遠慮せずに多部ちゃんに言いたいことを言ってもらいたかったんです。(収拾つかなくなっちゃいますから、成河さんは「質問はもう」とダメダメと手を振ってこちらをご覧に。)

多部ちゃんは、不規則発言は流して、例によって一言ずつかみ締めるように、舞台はライブで大変だなと感じてます。この日しか観に来ないというお客さんのために100%のものを届けないといけないと思ってやっています。舞台の裏にも、スタッフのサポートもいっぱいあって、ああでもない、こうでもない言いながら、100%の想いで届けたいという想いでやっています。まだ始まったばかりなので、風邪をひかないようにやりたいです。(「こんなに話してしまって」みたいなことを途中にはさんだと思います。)

と、まさしくルートさんがお書きのように「すべてを浄化する慈しみにあふれた神の言葉」で締めくくりました。(当然、このあと麻実さんも一言何かを言われていますが。)

多部ちゃん、驚かせてゴメンナサイ。多部ちゃんの一言を遮る不愉快な言動と思われた方々、すみません。

目の前で見てたら、何から言おうか、それとも簡単に終わらせようか迷っているようで、殻を破ってほしいという気持ちでいっぱいになり、流れや空気を変えねばと感じてしまったのです。冷静になってみれば、余計なお世話ですし、もっと話すつもりだったのを集中を乱したかもしれないし、かえって何も言わずに終わらせてしまう恐れもあったと言われれば、何も言えませんが...。

なりふり構わず最前列に座ったことで、『農業少女』で隣の席まで多部ちゃんがチラシを配りに来たときよりはちょっとだけ距離があるとはいえ、左斜め前2メートル弱の距離に多部ちゃんが何十分かいるという夢のような時間でした。多部ちゃんは客席を見るときは、近くには目線を合わせず、上のほうを見ていたので、あまり視線は合いませんでした。その分、こちらの視線は多部ちゃんに釘付けでした(だから視線を外してたとも言えますね)。短い時間で登壇しなくてはならなかったからでしょう、控えめなお化粧で、本人の魅力に溢れていました。

中央ブロック最前列で観られたらいいなとか、贅沢なことはもう言いません。最初は多部ちゃんが出ないかもと思ってチケット取るつもりではなかったのですが、勧めてくれたyamarineさん、本当に感謝です。

アフタートークが終わったあと通路の階段を登りかけたら、後ろから名前を呼ばれ、さっぽ君さんと『農業少女』以来の感激の再会を果たしました。今日、当日券に並ばれたとのこと。並んだ列の後ろのほうでは、ここまでと言われて帰った人もいたとのことで、その行動力に改めて驚嘆。

そのあとはルートさんに「しでかしディープ」とお叱りを受け、しろたえへ向かわれたルートさんたちとは、さっぽ君さんとともにお別れしまして、しばし言葉を交わし...帰路につき、とにかく神様から素晴らしいプレゼントを頂いた一日でした。今日からは、心を入れ替え、足るを知り、周囲に感謝をし、人のためになることを為すことを第一に生きていきます。

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"This is the very Salome" ――多部サロメに心打ち震えた一夜

 2012-06-01
Deep Purplinです。yamarineさんのブログをジャックさせていただいての『サロメ』初日レポートです。

ブラボー多部ちゃん。スゴいものを観ました。最高です。放心してます。帰路は一人余韻に酔いしれていました。また新しい多部ちゃんで魅了してくれました。できることなら毎日観てみたい魔性の磁力から逃れられません。

昨日コメントに書きましたが、多部サロメは、予想通り、これこそが正統なサロメであることを確信させる迫力、説得力に満ちていました。従来のファム・ファタールなサロメでは猟奇的なショッキングさは与えても、呆れるほど陳腐で、この戯曲がもつ深さや観劇者の感性に解釈を委ねる部分が削がれてしまうことでしょう。「恋って、苦い味がするって、よく言うから」というラストのラストのサロメの台詞からして、サロメが妖艶な魔性の女ではミスマッチだと思いますから。

純粋無垢なサロメを構想した宮本さんにも大感謝です。多部ちゃんがやらずして誰がやるというハマり役であるとともに、新たな多部ちゃんの魅力を引き出していました。

というわけで、これこそが「真のサロメ」、世界に通じる "This is the very Salome" でした。

純白のドレスに手をかけ、たくし上げるようにして舞台を小鹿のように軽快に動き回る多部サロメはとってもチャーミング。目を見開いてキラキラの瞳で甘く囁いたあとに、思い通りにならなければ、一転、睨みつけての恫喝。この両極端の往復を連続する演技は、多部ちゃんの真骨頂。宮本さんが『農業少女』を観て、「行ける!」と思ったであろうことがよくわかります。

舞台の全体的な印象としては、まだまだ試運転という感じではないかと思います。多部サロメはもっともっと舞台の上で「遊びまくれる」と思いますので、今後、どう進化していくか楽しみです。

奥田さんは酔っ払ってるという設定なので誤魔化しましたが、何てことない台詞(だからこそかもしれませんが)がとんでもなくからまっちゃったり、麻実さんも言い間違えそうになったのかなという感じで、妙に間延びさせて台詞を言ったところがありましたが、多部ちゃんはやっぱりノーミスですね。

大玉のネックレスが序盤で千切れちゃったんですが、あれはハプニングかな。あとで本当はネックレスに手をかけるんじゃないかなという動作で首をかきむしっていたので。そのことも1回きりの舞台を感じさせて印象に残りました。

さて、1回しか観ない予定の方々、1回で済ますことができますかねぇw

本日は、最前列左側からの観劇でしたが、プールサイド上の演技では3メートルほどのところまで多部サロメが迫ってきました。ただし、こちらのサイドにサロメが立って近づいたときは、照明は顔を照らさないので顔はよく見えませんでした。

最前列とはいえ、奈落のスペースの分、舞台が遠いので、多部ちゃんの表情を追うには、双眼鏡を持参して大正解でした。

サロメ計画の最前列右側も同様に多部サロメが近くに立ったり(このときは顔は照明に照らされているように見えました)、ヨカナーンとのやり取りで強い言葉を吐く場面を間近で見られる機会があります(あと5つぐらい席が真ん中寄りならホントに目と鼻の先)。

最前列両端からは、どうしても背中を向けた演技になる場面があり、最前列はやっぱり真ん中がイイですね。一般向けにはチケットは出てないのかもしれませんが。それと今日の席は、プールサイド中央の最上段の延長上だったので、サロメ姫がこちらを向いての演技が、ヨカナーンの背中で皆既日食になってしまいましたw

19時の開演直前にどんどん席が埋まっていき、1階席の空きは若干だったように思います(右隣は空いたままでしたが)。休憩なしの1時間40分ということでしたが、20時40分にはカーテンコールも終えました。


以下は、舞台を観る前に先入感につながるような感想や解釈を目にしたくない人はお読みにならないほうがいい部分を含んでいます(特に次の次の次の段落)。


私にとって、いちばんの注目は多部ちゃんの表情の演技なので、最前列でしたが双眼鏡をかなり使いました。『農業少女』のときと同じく、舞台全体よりも多部サロメを追いつづけることで、サロメの精神状態に近いような気持ちで舞台の上の芝居に溶け込むことができました。

序盤のヨカナーンとの絡みの見せ場のあと、中盤の王と女王、宴の客人たちの会話が続く場面は、何らかの含蓄や風刺などの意図のある言葉とはいえ、サロメにとっては興味のない退屈なもの。フテているサロメにもそう響いているかのように、(意図された?)虚ろな言葉が踊っているだけに聞こえました。その分、中だるみ感を感じつつあったのですが、これも終わってみれば計算されたタメのようなもので、再びサロメ姫が動き出してからの怒涛の終盤は、多部サロメの独擅場で一気に衝撃的なラストまで駆け抜けていきました。

ラストの血に染まるサロメについて、見学会で美術の伊藤さんは「生理」と表現していて、なるほど、それによって少女が大人になったことを象徴的に示すのだなと納得していたのですが、生首のヨカナーンを慈しむ多部サロメの演技からは、その血は、精神のなかではヨカナーンと身も心も一体となって通じ合った処女が流す血に他ならぬものに見え、そういう意味で少女が大人になったことを感じさせました。多部サロメは、そのことを肉体的なセクシーさを一切排除して表現していて、神々しいばかりの純粋で無垢な官能美の輝きを放っていました。

このときのサロメの心情の高ぶりが、ドドドドドドドーッという感じで我が身にも通じ、舞台のサロメからの遠隔的な力で心情も高ぶり、気がつくとうっすらと涙で目がかすんでいました。

舞台美術の演出でラストは視覚的にもスゴいことになっていくんですが、多部サロメのあの怪演には、これぐらいのことをして、やっと釣り合うというところではないかと思います。

麻実さんが奥田さんより上背があり、大勢の男性キャストが林立しているので、多部サロメ姫は身長の低さが武器になって、とても幼く見え、人間のもつ多面性を幅広く表現していました。

サロメが前かがみになる場面が何度もありますが、がっちりタイトにガードされているので、要らぬ心配(期待?)をする必要はまったくありません。視覚的に官能的な人をキャスティングしてたら、とてもこれだけ幅と深みのある舞台にはならなかったでしょう。サロメ役自体がセクシーだと、こんな幼さをもちながら、ヘロディアの血を引いているという因果よりも、サロメ自身の妖艶さのなせる業となってしまいますから。

ラストシーンの舞台演出のせいなんですが、カーテンコールに出てくる多部ちゃんが素の多部ちゃんになってピョコピョコ歩いて出てきて、またピョコピョコ帰っていく姿が何とも言えず可愛かったです。カーテンコールで舞台に立つのは多部ちゃんだけで、その他大勢の男性陣は例のプールサイドに立っての挨拶で、奥田さん、成河さん、麻実さんは見当たらなかったように思います(男性陣が目の前に立つので、死角になっていたのかもしれませんが)。いかに多部ちゃんをメインに立てた舞台なのかがわかります。

カーテンコールの多部ちゃんの表情は、まずは今日やれるベストは尽くせたという感じの安堵が見え、こちらもとてもホッとしました。

以上、簡単に済ませようと思っていたのですが、今日の感動を書き留めたくて、そこそこの長さになってしまいました。

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期待高まる誰も見たことのない『サロメ』

 2012-05-27
Deep Purplinです。

すでに皆さんご存知のように、本日(5/26)の舞台稽古見学会は中止になり、照明リハーサルの見学会になりました。

本番のセットを組んだ舞台で、照明の色や当て方をああでもない、こうでもないというリハーサルを宮本さんの解説も少しつけて30分強、そのあと美術の伊藤雅子さんのお話が30分ほどで16時45分頃にお開きになりましたが、セットのミニチュアを前にして、伊藤さんがフランクにお話をしてくれて、最後はつばさファンクラブでお馴染みの電波の武者さんと、成河さんを目当てで7回公演を観るという女性と3人で、伊藤さんから更にいろいろと裏話も伺い、気づいたら18時、さらに小1時間ほど3人で立ち話をしてました。

遠路はるばるのrakuyouさんはどの方かなぁとキョロキョロしてましたが、わかりませんでした。routeさんやtdoiさんがいないのは中止の情報をどこかで手に入れたのかなぁなどと思っていましたが、routeさんは遅れての入場だったようですね。

私自身、サロメ計画の観劇に行く前には絶対に終わらせないといけない仕事があって、一日でも早く余裕をもって終わらせたいのですが、思ったスケジュールより遅れているので、今回の件を責めることを書くと、気分的にはそれが自分に跳ね返ってきそうなので、あまり否定的にとらえないように考えていますが、遠くから来られた方には本当にお気の毒でした。(受付横で紙コップにお茶が振舞われていたり、対応がやたら丁寧だなとは思ったんですよね。)


さて、多部ちゃんを見ることはかないませんでしたが、いろいろと知ることができたこともありました。

まず、朗報としては、最前列となる第10列は多部ちゃんの芝居を観るには絶好のポジションです。多部ちゃんと成河さんのからみの芝居は、最前列のホントに目の前で展開します。真ん中や左手側(番号の若い側)のほうでの見せ場が多いので、右手側でも演じるように昨日も芝居を変更していたとのことです。(ただし舞台上の芝居で右手側からだと多部ちゃんが見えにくいものが一部あるらしいです。)

誰も見たことのないサロメを見ていただくと宮本さんが言っていますが、「エッ、そうするの?」と驚かされたところがありました。やっぱり多部ちゃんは、そういうチャレンジをしたいつくり手が使いたい役者だということですね。

以下、稽古場の映像で一部は映っている部分もありますが、ネタバレ的なことも含んだことを書きますので、舞台を観て驚きたい方は、お読みにならないことをお薦めします。

しかし、平野版の『サロメ』に宮本さんが、「今回の『サロメ』の上演は、観客のことはさしおいて、まず自分にとっての価値の変革と、それを再構築することが目的となりました」と書いていますが、説明をされないと、何を表現したいのか演出の意図がわからずに面喰うだけになりそうな奇抜なところがあるので、1回しか観ない方は、観る前に少し頭に入れておいてもいいかもしれません。平野版『サロメ』を読んでも、ここまでのことはイメージできませんので。







以下、書いても大丈夫と思われる範囲で。(宮本さんが、あんまり書いてほしくないということを言った部分にギリギリ近いことをほんのちょこっとだけ書いてますけどね。)

まず驚いたことは、セットと衣装は完全に現代劇です。NABEさんがアップされたBoot!や昨日のスタジオパークで映った稽古場の椅子などのセットが現代風だったことはお気づきだと思いますが、まさにああいう椅子です(稽古場のは安物やパイプ椅子も使われますが)。

だからサロメ姫もテディベアを持っているんですね。今日の舞台にも置いてありました。

イメージとしては、現代のドバイの金持ちの豪邸みたいな感じということで、ギャラリーのように真っ白が基調で、床もいろいろな椅子も、絨毯もみな白、白、白で、とても無機質な感じです。

衣装が山本耀司さんの既製服を使うということも既に知られていることですが、全体的に真っ黒のスタイリッシュな現代風の衣装だそうです(背広に近い服の人もいるらしい)。伊藤さんが着ていた黒のお召し物もYohji Yamamotoだそうで、なるほどこんなイメージなのかなと。ただし、時代を感じさせる模様をちょっと入れたりということはあるらしいです。

セットも衣装も現代風という設定は、好みや評価が分かれるところかもしれません。台詞の中には、古代を想起せざるを得ない単語があるわけで、現実にそういう芝居がどう見えるのか、頭の中はまだ整理できていません。そこらへんの感覚のミスマッチによって、何かを感じさせたり、考えさせたりということなんでしょう。

宮本さんが、美術の伊藤さんに最初に出した3つの注文というのが
 ・昔っぽくしたくない
 ・2階から降りてくる
 ・ヨカナーンはずっと下にいる
だったそうです。

それで伊藤さんがかなり凝ったものを提案したら、「やりすぎ」ということで却下が続いて、最終的にはかなりシンプルなものになって現在のものに至ったそうです。(途中段階ものは、舞台自体が傾斜していたりと、ある種の不安定さを示す斜めの構造が、それも対をなすかたちで含まれているものが多かったのですが、最終版はスクエアなものになっています。)

月の姿が会話の中でもいろいろと詩的に表現されていて、重要な意味をもっているため、月が舞台の奥にあるセットだったのが、どうしても芝居が客から遠くなりがちなので、客席側にあるという設定になっているそうです。

そのかわりにというかたちで、舞台の上には斜めに大きな鏡が吊ってあります。ただし、そこに映る姿が格段意味をもつということではないそうです。この鏡があるため照明も真上からは照らせないため、いろいろと難しい面もあるらしいですが、見えている姿と鏡に映る姿の二面性とかいったものを象徴的に示すようなオブジェクトなんでしょうね。。

稽古場では左手が少し開いた黒のレースのカーテンが映っていましたが、本番の舞台ではアクリルか何にかの半透明の壁になり、その向こうに宴の会食が終わった長机(18人座っている)があって、客席からは影でしか演技が見えないようになります。

ただし、そちらのスペースを撮るカメラがあり、壁の向こうの演技は、舞台右手側のテレビモニターにはクッキリ映し出されるようになります。このモニターは裏側から見るとステンレス製の食器棚みないな感じで、最初は、場にそぐわないものがあるなとしか見えませんでしたが、無機的な現代風の部屋という設定が呑み込めてみれば、この金属光沢の箱型のモニターが、真っ白な部屋な単調さに変化を与える存在になっているのだと納得しました。

サロメ計画は右手側からの観劇になりますが、このモニターが舞台を観るのに邪魔にならないかちょっと気になりました(見切りの位置は一応計算していて、手前の舞台の演技がメインになってからは後ろに動かすとのことでしたが)。ただしサロメとヨカナーンの絡みの芝居は客席の直前ですから、それについては心配ありません。

ヘロディアがしきりにヘロデにサロメを見るなと言うことに代表されるように、『サロメ』というのは視線の演劇なのだそうで、このモニターは監視カメラのようなものをイメージしていて、見たい人と見られたくない人という関係を想起させたいらしいです。

全体として宮本さんは、ワイルドの諷刺的な意識を前面に押し出したいようで、それを現代のお金持ちのイメージとしてセットを真っ白な部屋にし、そこがどんどん血で赤く染まっていくという演出で表現するようです。

政治や論理の世界を表す無機的な白の部屋や大人たちと、何にも染まっていなくて、ただ一人「生」の人間として生きているサロメを対比したいという意図だそうです。

ヨカナーンはさらにサロメとは正反対のイメージの存在だそうです。真っ白な部屋をパイプで支えている下のスペースが牢獄で、そこから声を出すようです。舞台が2メートル60だか70上げてあり、成河さんはその分だけ低い奈落にいるわけですが、少なくとも胸から上は、客席のどの席からも見えるはずだそうです。(彼の身長が168センチで低めなので、ギリギリらしいです。)

その奈落の床には5センチほど水が張ってあって、昔はプールとして使われていたという設定だそうです。(この水が下に漏れないようにするために、舞台設営を慎重にやらざるを得ず、照明のリハーサルが午後にずれ込んで、舞台稽古の見学会は間に合わなくなってしまたそうです。)

スタジオパークで紹介された映像で多部ちゃんが下を覗き込むようにしたあと、寝そべりますが、あれが水の張ってある奈落を見るという感じの演技になります。

奈落から客席側へ、プールサイドをイメージするようなかなり急な階段があり、一番上の幅70センチほどの段のところでサロメとヨカナーンが演技をします。Boot!の稽古場の映像で舞台右手から多部ちゃんが木製の梯子のようなところから登ってきたという感じで出てきますが、これが地下の水を張ったスペースに降りる梯子で、本番の舞台では金属製です。

サロメはこの梯子を降り、水のたまっているスペースを歩き、ヨカナーンとともに階段を登って手前で芝居をしますが、昨日の稽古でも、水のたまっているスペースで「キャッ」と声を上げて滑っていたそうで、そのあたり、滑らないように工夫も必要かもとのことでした。

この階段は段差が45センチほどあるので、多部ちゃんには結構キツい設計で、よじ登ってもいいということになっているそうです。

注目のサロメダンスですが、脱いでいったり妖艶なものであったりしないことはもう知られていますが、舞台が滑りやすいらしく、残念ながら多部ちゃんのダンスの能力を最大限に発揮するものではないらしいです。

月を舞台からなくしたのは、月よりも血が大事な意味をもつということもあるそうで、最後に舞台を染める血が、サロメが初潮を迎えて少女から大人になることを表現しているとのことでした。このあたりが宮本サロメの基調ですね。

そういう話を聞いて、チラシの赤が滴っているデザインが壁を流れる血であることに気づきました。血の見せ方は、照明の助けも借りつつ、効果的なものをまだ実験模索中の部分もあるそうです。

本番のセットを組んでの中劇場での舞台稽古は昨日から始まったそうで、芝居のやりやすさ、観客からの見え方や効果、毎日の舞台の維持など、本番に向けて修正がこれから入っていくようですが、新国立劇場は本番の舞台で1週間の時間がとれるので余裕があるほうらしいです。

多部ちゃんもこの2、3日で演技での顔つきが変わってきて、多部サロメをつかんできているそうです。

私自身は、舞台稽古を観るのはそうそうあることではないので期待をしていた反面、生の多部ちゃんを観るということで言えば、2階席ではなく、至近の最前列で観劇ができるのだから、観るのは本番で十分であり、単に生多部ちゃんを観られるからということに引っかかりもありました。

といことで、今回の『サロメ』に、どんな意図が込められているのか、またいろいろな対比の種をばらまかれていることなど、つくり手の思いに触れたことで、本番が益々楽しみになってきました。

と、前向きに考えないと、結局損をするのは自分ですからね!

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