“ くるりライブ ”

 2009-11-29
はじめて「くるり」のライブに行ってきました。

リーダーの岸田繁さんの誠実さ、音楽に対する真摯な姿勢がよくあらわれたなかなかいいライブでした。

語りすぎず、歌いすぎず、あおることなく、広いステージの真ん中に4人が固まって、楽器のみで装飾は一切なく、ただひたすら自分たちの音楽を伝えることのみに集中するという彼らの音楽にふさわしい、好ましいコンサートでした。


「くるり」はもう何枚ものアルバムを出していて、即買するアーティストではないのですが、評判を目にしたりして結局買ってしまうバンドです。ビッグヒットというのはないですが、バラエティに富んだスバラシイ曲がたくさんあります。

ひとつ前のアルバムは、オーストリアまで行ってウィーンフィルのメンバーと一緒に創った見事な作品でした。

そのメンバーが日本に来て、東京でやったコンサートはWOWOWでも放映されましたがスバラシイものでした。


ちょうど、16組のアーティストによるトリビュートアルバムも出て、矢野顕子、松任谷由美、木村カエラ、奥田民生ほかのアーティストによるカバーで評判もいいようです。

いわゆるロックっぽいサウンドではないですが、岸田さんが創る作品はビートルズやアメリカンロックの影響を受けつつも、和製フォークの良質な部分を融合させてマイナーテイストになり過ぎず、ジワジワと味がしみ出るようなフックのきいたメロディーが印象的です。

ハッタリとは無縁の自然体の創りですから、その味わいや深さはメジャーにはなりにくいですね。


ですから、ライブもヴォーカル、歌詞がきちっと聴き取れるぐらいのバックの音量に抑えて、実にバランスのいい気持ちのいい音を出していました。

私がライブを観たい日本の男性アーティストは、奥田民生しかいませんでしたが、「くるり」も悪くないですね。


以前観た有名なバンドで、いいメロディーを書くのに、やたらバスドラやベースを強調して、ボーカルも聞きづらく、そのバンドの良さが損なわれて、非常に不愉快だったSというグループがあって、ライブっていうと俺達はロックバンドなんだということを間違って表現しているんじゃないって感じたことがあったのですが、その点岸田さんは、自分達の等身大の姿をそのままを表現したいというのが、明確で実に気持ちが良かったです。

まあパンクやヘビメタでしたらどれだけバカでかい音を出してくれても構わないのですが、その辺を履き違えるバンドはスカンですね(笑


ですからステージングはあくまでも控えめで、謙虚で、岸田さんの個性があらわれていて、たんたんと新旧の曲をこなすという感じで、我々はというと真剣に集中して「くるり」の楽曲に対峙するというのが良かったです。

この当たりのパフォーマンスは多部ちゃんの舞台もそうあってほしいななんて感じました。


見た目に見栄えがするバンドではなく、盛り上げるようなハデな曲があるわけでもない渋めバンドですから、客層も20代中盤ぐらいがボリュームで、私のような年配者は少なく、男女は半々といったところですね。

男女が同じぐらいなのはちょっと意外で、もっと女性が少ないかなって思っていましたが、グループや一人だけで来ているおとなし目の女性も多く、良質なバンドのイメージと重なるものを感じました。

そんな客ですが、最初からスタンディングなのは今どきふつうですが、盛り上がる曲でもハンズアップなんかはなく、カエラや民生に比べるとずいぶんおとなしい反応のライブで驚きました。

でも、それが盛り上がりに欠けるということではなくて、約2千数百人の客が一人ひとり気持ち良くノッて、バンドもそれに呼応して、演奏・歌とも見事な出来栄えで、緊張感のあるジワジワと感動が伝わるステキなライブでした。


最近行きたいライブが少なくて「くるり」でも観て見ようかという感じで行ったコンサートだったので、そんなに期待していなくて、当日は昼間遠方まで出かけてかなり歩いて、やや疲れていたのですが、ライブの途中によく感じるダレや眠気はほとんどありませんでした。

ハデで目立つコンサートだけじゃなく、こんなリラックスした味のあるコンサートも多部ちゃんには体験してほしいななんて思いました。


タグ :

“ つばさ考 ” 9

 2009-11-27

≪ つばさのテーマ ≫

『つばさ』のテーマはなんだったのかなって、ずーと考えていますが、多面的、複層的で多岐にわたって描かれたドラマですから単純にこれっていうことは難しいですね。

でも、そんな中でもやはりこれははずせないというのが、


「つながり」と「ゆるし」ではないかなと思います。


人は成長の過程で、かならず親の大きな存在にぶつかることになり、それに依存していくのか、壁になってしまうのか、それをさけて別の道へ進むのか、乗り越えていくのか、さまざまな葛藤があると思います。

それは自我が芽生える10才前後からはじまり、延々と親がいなくなるまで続くものだと思います。

私なども、この年になっても母親と言い合いをすることは絶えませんし、親は子供がいくつになろうと子供のころと変わらぬ意識で、自分の考えを押し付けようとしますから、難儀なことですね。


まあ、しかしこれが生物の宿命だろうと思うわけで、動物であれば、一定のところまで面倒を見て、あとは自然界に放り出すわけですけど、人間の場合はそう簡単ではないですね・・・、いつまでも親ばなれできなかったり、逆に子供ばなれできなかったり・・・、

そういう生きていくことの根底に流れる問題に焦点を当てて、


・千代は加乃子に、自分の不幸を加乃子にも背負わせようとする

・加乃子はつばさに、千代に反発してつばさを飛びたたせようとする

・千代はつばさに、加乃子へのかなわぬ想いをつばさに託そうとする

・加乃子と竹雄は、お互いの暗い過去の暗い闇を理解し合える

・知秋は加乃子に、幼い時の家出のトラウマが消えない


という複雑な親子の関係の中で、肝心のつばさはというと、やさしい性格で誰も憎むことはできず、一貫して家のために尽くそうとする健気な女性として存在して、つばさの奮闘によってからまった糸がほぐれていくというのが、今どきの風潮ではなかなか理解し難いのかもしれないですね。

でも、あえてそういう設定にすることによって、つながることの大切さと、人は誰でもゆるされたい過去を背負っているのだということを分かりやすく描いていると思います。

ここまで人間の負の側面を描くというのは、習慣的に観ている年配の視聴者が多い朝ドラとしては、冒険であったわけですが、今の世相に切り込んで人と人とのつながりの大切さを描くには避けて通ることはできないわけですから、重いテーマであったとは思いますが、意図したことは十分に伝わったと思います。


そして、つばさは玉木家以外についても


・優花は真瀬を父親として認めていない

・真瀬は千波を一人で死なせてしまったことを後悔している

・みちるは真瀬を憎んでいるが、気にもなっている

・斎藤は加乃子と引き裂かれた過去に加えてマリアにも先立たれて傷心している

・浪岡は葛城に茶道の跡継ぎを拒否して家を出て音楽の道に生きようとしている

・麻子はヤクザであった父親を憎んでいる 

・翔太と佐知江は父親を憎んでいる

・伸子は山師の夫と別居し、帰りを待っている

・二郎はベッカム一郎と別れたが、できればよりを戻したいと思っている

・紀菜子は梅吉の実家、玉木家を憎んでいる

・紀菜子と富治は子供ができないことで悩んでいる

・城之内は千代への積年のうらみを持っている


といったさまざまな問題にも関わって、それぞれが犯した過去のあやまちをゆるすことによって浄化する道を模索しています。


もちろんそれ以外にも、玉木家での家業やラジオぽてとでの仕事や翔太との恋もあるわけですから、八面六臂の忙しさ、奮闘になるわけですね。

それが全編に凝縮されていると思います。

そして、いずれの問題も最後はつばさの努力で良い兆しが見えるというのが、気に入らない人もいるかもしれないですが、それが朝ドラですからね。


私も60余年人生を歩んできて、本当に人と人の関係の難しさを感じています。

この年になると、長年の間に培われた価値観というものが誰にもあるわけで、それはもう他人には変えようがないですし、経済条件もずいぶん差が出てきますし、友達つき合いや親戚つき合いも、若い頃のように気軽に出来るものではないですね。

だから、必然的に家族や近所や仕事での付き合いが中心となるわけですが、私の住んでいる街中では、近所付き合いも希薄で、濃いつながりはみんな望まなくなっています。

会社でももう同期なんかはみんな辞めてしまって、周りの人とは上っ面の付き合いがほとんどです。

それは私自身にも原因があると思いますが、本当にそんな風でいいのだろうかって思うこともあります。


そういう世の空気の中で、「つばさ」が重くて、濃くて、熱いテーマを持って描かれたのですから、鬱陶しい、しつこいという嫌悪感を持った人が多くいたことは想像に難くないですね。

でも、それだけ疎まれる存在であったというのは、逆にいまみんなが触れたくない重要な問題を提起したということでもあると思います。

観る人にとって、心地のよい、うす味の、刺激の少ない作品が多い中で、「つばさ」のテーマ、アプローチは画期的であり、そのテーマの深い部分をどれだけ真摯に受け止めることができるのかが、我々に問われているのだと思います。

タグ :

“ 寺島しのぶ哲学 ”

 2009-11-25
朝日新聞で連載中の“寺島しのぶ哲学”に、なかなか興味深いことが書いてあった。


まず、彼女自身の言葉として、

「外見の美しさにはあまり興味がありません。美人ゆえのつらさは、母を見て分かっています」

と・・・、彼女の母親は言わずと知れたあの富司純子ですね。


私は学生時代、彼女の「緋牡丹博徒・お竜参上」を観て、一緒に歌を歌い、健さんと同じようにシビレていたくちですので、あの美しい彼女の娘が、寺島さんというのはいまだにピンときません・・・、申し訳ありません(笑

美人で女優としては悩んでいたのですね。
美人は20代はいいですね。輝いていますから・・・、

でも、どんな美しい人でも30からは老いが出てきますが、その老いとうまく共存していくことがなかなか難しいのでしょうね。

そこで、いい仕事が来なくなるというジレンマに陥ることが多いと思います。その壁を乗り越えた人は、40、50といい味が出てきて、独自の存在感を発揮するようになりますね。


そして、寺島さんはその母から、

「あなたはどんな顔にでもなれるから得だ」と言われたそうです。

なるほどね・・・、


この辺になると、読んでいてどうしても多部ちゃんのことが浮かんできてしまいました(笑

多部ちゃんは、年上の役は「不毛地帯」ではじめてやるので、どんな感じになるのかまだピンときませんが、きっとそれなりの雰囲気を出せると思います。

メチャきれい、メチャかわいいという顔ではなく、時にきれい、時にかわいい、時に・・・、というようにさまざまな活きた表情が自然にあらわれる人ですから、そういった点では寺島さんと同じようにツブシがきくというか、これからもいい仕事が来るのじゃないかなって期待しています。

あまり表裏なく、自然体という点も似た部分がありますし、ただ出自はまったく対照的けどね。

寺島さんは「ヴァイブレーター」で全裸で演技することになった時、母親から勘当されそうになるなど、家の重さに反発した人ですから、ふつうになることが夢だったんじゃないでしょうか。
多部ちゃんは、もともとのふつう感覚をなくしたくないという人ですから、そこに接点があるのかな。


同じ記事の中で樹木希林さんが、以前寺島さんに言った言葉として、

「田舎くさい顔で、もんぺがよく似合う」

「土臭い女優ってなかなか出てこないから、テキはいないよ」

というのも紹介されていて、樹木さんらしく言いたい放題言ってるな。彼女しか言えないし、彼女が言うなら寺島さんも笑って許すのかななんて思ったのですが、

これを多部ちゃんに当てはめるのはちょっと気が引けますが、「俺君」の時の多部ちゃんのあの時代のカッコウがよく似合っていた雰囲気を考えるとそういう面も否定できないかななんて思います(笑


そういう意味で、今どきの若手女優として稀有な存在ではあるわけで、日本の女優の中で確固たる存在となった寺島さんのようになって行くのも悪くないななんて思います。

しかし、それはあくまでも結果としてということであって、誰かのようになりたいなんてことは多部ちゃんの生き方からは最も遠いもので、あくまでもひとつひとつの仕事に全力を傾注した結果どう評価されるかということですね。


そして、その記事の最後に寺島さんが、


「役の『心』をしっかりキャッチして、内面を充実させれば、その役相応の美しさを伝えられると考えています」

「細く、長く、『後を引く女優』でありたい」


と言っていますが、まさにこの言葉こそ、多部ちゃんにもぴったし当てはまるのではないかと思います。

いつまでも、私たちの心に『後を引く女優』でいてほしいと願っています。



タグ :

“ つばさ考 ” 8

 2009-11-23
≪ つばさの音楽 ≫

つばさの音楽については、三つのストロングポイントがありました。

まずは主題歌、アンジェラ・アキさんの「愛の季節」

私はアンジェラさんは、人間としてはアメリカで苦労もされていてすばらしい方だと思うのですが、歌手としては感情過多な歌い方、ウェットな歌詞で、どちらかというと苦手で、主題歌に抜擢されたと聞いた時あまり期待はしていませんでした。しかし曲を聴いたら『つばさ』にぴったりのいい作品で、彼女を見直しました。


メロディーももちろんいいのですが、詞が『つばさ』の世界とシンクロしていて、制作側からの注文に100点以上のレベルで応えたのは、さすが彼女の実力を見せつけましたね。

そして、秋にやっと出たシングルのヴァージョンがメリハリのあるナイスなアレンジで、この曲に対する意気込みを感じてうれしかったです。

その想い入れどおり売上もまあまあですし、あとは紅白で、多部ちゃんらつばさファミリーの寸劇をバックに歌ってくれたら、こんな幸せなことはないなって期待をしています(笑


二つ目はやはり浪岡正太郎ことROLLYが歌う「あなたが好き」ですね。

これは制作陣としては想定外の創作だったようですが、まさにつばさパワー恐るべしですね(笑

私なんかはスカンチの頃のROLLYの印象が強いですから、この曲を最初に聴いた時はなんからしくないなって感じたのですが、何回も聴いていると、心からつばさのことを想って湧き上がってきたメロディーなんだなあと感じるようになって、特にラジオぽてとの屋上で、浪岡の歌うバックでつばさが踊るシーンは至福の名場面ですね。

ROLLYも見た目はロッカーですが、れっきとした中年の男性ですから、浪岡がつばさに恋したように、多部ちゃんにかなわぬ恋をしていたのだろうなって勝手に思っています(笑

これも、斬新なニューヴァージョンで、是非紅白で熱演してほしいなって思います。


三つ目は言わずとしれたいわゆるBGMですね。

でも従来のBGMという言葉の範疇では収まらないさまざまな楽しい曲、印象的な曲がありました。
特にボーカルも入っているというのがユニークでいいですね。

ただ残念なのが、発売されているサウンドトラックでは、中盤から後半にかけて新たに挿入された曲まで網羅されていないことですね。

まあ、でもそれも『つばさ』らしく臨機応変で自在なストーリー展開によって、次から次に新たな演出にトライする中で、新らしい曲を追加してきたということで、それはそれでやむを得ないですね。

サンバの「ミ・アモーレ」は、何回も聴きたい曲です。

まあ『つばさ』を何回も観ながら楽しむことにしましょう。


こういうBGMというのは、1曲をキチッとまとめあげる必要はないので、いかに話しの流れやつばさの心情に沿うような印象に残るメロディーを書けるかというのが生命線ですから、そういう点でキャッチなメロディーや重々しいメロディーやハチャメチャな曲など、住友さんが全精力を傾注して創られたのが伝わってきますね。

みんないい曲ですが、ストーリーとマッチして特に好きな曲は、

「太陽の街、川越」、「大空に向って」、「夢を信じて」、「Prayer On The Hill」、「Wings Of My Heart」

その他では、

「元気な甘玉堂」、「ファンキータウン川越」、「閉ざされた記憶」、「夕焼けの川越」、「恋の予感」、「つばさを広げて」

といった曲が印象に残ります。


いずれにしても、ストーリー創り、脚本、演出、演技、バックアップ体制、どれをとっても手を抜くことなくパーフェクトなテレビドラマを目指した一端が、演出面の非常に重要な側面である音楽にもあらわれていて『つばさ』のストロングポイントとして大きな成果をあげていると思います。




タグ :

“ '09 WRC ”

 2009-11-21

2009年のWRC(世界ラリー選手権)が終わりました。

シトロエンC4を駆るセバスチャン・ローブが6年連続のドラバーズチャンピョンとなりました。

私が大好きなドライバーです。

私はシトロエンが好きなので、WRCも何年もJスポーツで観ています。


WRCは、基本市販車のモデルを改造して、メーカーが早さと耐久性を競うカーレースで、昔は日本のメーカーもほとんどが参戦していましたが、最近まで参戦していたスバルもスズキも撤退して、今年はシトロエンとフォードだけというさみしい状況です。

日本では、カーレースはF1が圧倒的に人気がありますが、ヨーロッパではWRCの人気もかなりのものです。

F1とかインディーズとかルマンは、専用のサーキットで多くの車が抜きつ抜かれつの戦いをしますから、見た目には面白いですよね。


それに対してWRCは、公道の一部の5~40Kmぐらいを一区間として、1日にそれを十数本走りタイムを競うということで、スタートが時間差で行われますので、抜きつ抜かれつはなく、あくまでもタイム競争ということです。

しかもレースによって、ターマック(舗装)とグラベル(未舗装)があり、山道が多く、曲がりくねって視界は狭く、細くてアップダウンや水溜りがあり、北欧では雪の中、その他の場所でもどんな荒天でも実施しますから、ドライバーにとっては非常にハードな競技だと思います。

時には夜でも走りますから、頼りになるのは助手席に乗るコ・ドライバーがしゃべるあらかじめチェックしておいたペースノートです。これにミスがあってコースアウトし、転倒することもよくあります。

こういった過酷なレースを3日間行って勝負をつけますから、その間のかけ引きも大変面白いです。


今年は年間12戦で世界各国で開催されましたが、最終戦は毎年ラリー・ブリテインで、イングランド北部の過酷なコース、路面、そして時期的に必ず過酷な天候になり、今年のように逆転で年間チャンピョンが決まるということも多いです。


日本では、札幌周辺でラリー・ジャパンが開催されますが、今年から隔年開催になって、来年秋に開催される予定です。昨年の大会には長男が一人で観にいったので、ビックリしました(笑

今年も優勝して6連覇を果たしたローブはフランス人ドライバーで、フランス人はどちらかというと舗装した路面は得意ですが、悪路は苦手と言われる中での6連覇ですから見事なものです。


テレビで見てるとF1のような華やかさはありませんが、より実際の車の環境に近い中で行われるアジのある競技ということで、華のある女優の中に交じって、孤高の存在感を漂わせる多部ちゃんにも共通するものを感じるというのはこじつけ過ぎでしょうか(笑






タグ :

“つばさ考 ” 7

 2009-11-19
≪ つばさのタイトルバック ≫

私は「つばさ」のタイトルバックが大好きです。

秀逸だと思います。

多部ちゃんにピッタリだと思います。


あれは、きっと多部ちゃんの持ってる雰囲気とお芝居を見て、スティールでナチュラルな多部ちゃんと川越のなんでもない風景を組み合わせたらきっと印象に残るタイトルバックになるだろうと考えたのではないかと勝手に思っています。

もちろん、「つばさ」そのものがドロドロの人間くさいお話しですから、こぎれいなアニメやイラストでは物足りないということもあったと思います。


しかも、途中で写真を一部入れ替えることによって、つばさの精神的な成長を表現するという心憎い演出をしてくれて、本当にディテールまでこだわりにこだわったのが、こんなところにも端的にあらわれていると思います>ふつうはやりませんよね(笑

そして、さらにはタイトルバック以外にもいい写真がイッパイあるので、朝ドラヒロイン初の写真集まで出してしまうという快挙を成し遂げました。

これには多部ちゃんのファンとしてはまったく感謝のひと言でした。


その写真集は写真のイメージどおりのザラッとしたパステル調の質感がナチュラルな雰囲気をかもし出し、多部未華子の持っている一歩引いた表情、素朴さ、幼さの中にただよう女性ぽさなどが、背景のなにげない風景とシンクロしてアキのこないものとなっています。

私は写真にうといので、専門的なことはまったくわかりませんが、自然光で撮ったような感じ、ピントを外したようなショットをあえて交えたやわらかな印象がいいですね。


背景も街の中や郊外のふつうの場所を切り取っているのが和みます。

印象に残るのは、やっぱり中華料理屋さん、神社の階段、絵馬、廃線路跡などですね。


撮影にあたってはつばさと多部未華子の中間あたりの表情でという注文があったようですが、そんなのは難しいわけで、その時は“多部未華子=つばさ”になっていたのですから、佐内さんにとってはどちらにせよ、満足のいく撮影ではなかったかと思います。


アンジェラ・アキさんのせつない「愛の季節」にのってめくられる1枚1枚のフォトが、つばさという主人公をよく表現していて、いつまでも忘れられないすばらしいタイトルバックになっていると思います。

タグ :

“ 紅葉狩り ”

 2009-11-17

先日、紅葉を見に行ってきました。

私はほとんど計画性がないので、朝起きたら意外とお天気が良くて、今日はどうしよう、どこのショッピングセンターへ散歩がてらに行こうかといういつもの夫婦の会話の中で、嫁さんがいい天気だから、ちょっと緑の中を歩きたいなって言ったので、近いところ遠いところいくつか候補をあげていたら、テレビで紅葉が見ごろだと言っていたという話になって、11時半頃からノコノコ車で出かけたというわけです。


名古屋周辺では、紅葉というと豊田方面、足助町というところにある香嵐渓が有名で、家から1時間半程のところで数年に1回は行くのですが、時期的にはもう少し後が見ごろで、今回は久しぶりに岐阜市から北西に行った谷汲山・華厳寺とすぐそばにある「ミイラ寺」あるいは「美濃の正倉院」とも言われる横蔵寺の二か所に行ってきました。

我が家から車で2時間弱ほどです。


私はいま休みが不規則で、ほぼ平日と土か日の週2日で、遠くへ出かけるとしたら平日になります。

どこかに行く時は、途中や行き先付近で、おいしい蕎麦屋がないかということをいつも気にしていて、岐阜方面というと2軒ほどうまい店を知っていて、そのうちの1軒に寄っていきました。

ですから、楽しみはおいしいお昼と紅葉狩りのダブルということで、私としては言うことありません(笑

これが行く方面で、特においしい店を知らないと少々残念ですね。

もちろんいつも蕎麦ばかりではなく、ピッツアやパスタ、あとラーメンも好きで、ご飯ものは食べませんので休みの昼っていうとその三つの交替ですね・・・もちろんいつも外食ではなく、コンビニも多いですが(笑


蕎麦は私は十割が好きで、ざるとそばがきが大好物で塩で食べるのが特においしいですね。

他に食べるとしてもだし巻きぐらいで、天ぷらとかはほとんど頼みません。

素朴な本物の味が好きです。


話しが寄り道しましたが、華厳寺は参堂が長くて、その両脇にもカエデは植えてありますが、なんと言っても境内のカエデの木が大きくて階段の下から上までいろんな色のグラデーションとなって、なかなか見事でした。

もう一つの横蔵寺はミイラが展示してあってそれが有名ですが、この時期は華厳寺よりも広がりのある敷地の高低のある中での大きなカエデの紅葉がほぼピークで、すばらしいものでした。

ただ、私はそういうところへ行ってもあまりゆっくりすることはなく、店で売ってる食べ物やお土産などを食べたり覗いたりもせず、ざっと1周して終りで、目でしっかり味わえば良しという考えなのでカメラも持っていきません・・・、もっとも私は壊れたまま新しいカメラを購入していませんが・・・(笑

当日は私も嫁さんもケイタイすら忘れていきました>二人ともほとんど時計がわりw


という久しぶりの駆け足の遠出でしたが、帰りには富有柿で有名な糸貫を通りますので、道の駅で5個200円(ヤスイ!)の柿を買って帰りました。

柿はすぐに傷むので沢山は買えないですね・・・、昔おやじが岐阜県に勤めていた関係で、糸貫の柿の木のオーナーになったことがありますが、1本の木でイッパイ採れますから、遠方なのに2回も3回も行かなくてはならず大変だった記憶があります・・・、食べるのも(笑


今の時期の天気のいい日のドライブは気持ちがいいですね・・・、私の車はルーフの8割がガラスですので運転中にちょっと見上げたりするとサイコーです>夏は暑くてスライドで閉じますがw


多部ちゃんも車の免許は取ったと思いますが、車は買ったのでしょうか。
そして、たまには息抜きに、友だちとドライブに行っているのでしょうか。

たぶん、危ないし、仕事や大学でそれどころではないでしょうね。
そのうち、必要に迫られて乗ることがあるでしょうから、今は無理して乗らなくてもいいと思います。



タグ :

“ つばさ考 ” 6

 2009-11-15
≪ つばさの夢 ≫

「つばさ」で重要なテーマとして根底に流れているのが、「つばさの夢」です。

このテーマが従来の朝ドラに比べると、弱い感じがするのが、見ている人にイライラ感とストーリーに入り込めない要因のひとつだったのではと思います。


つばさは最初、「夢」という考えすら持っていないコでした。

しかし、現実はこういうことはめずらしくなく、「夢」も抱けない閉塞感の中で、その日その日を生きているという人も多いのではないでしょうか。

だから、夢ということで言えば、強くそういったものを持たないというところに今の時代の空気のようなものへの投げかけがあったのではと思います。


つばさは万里に大学を卒業した後どうするのって聞かれた時の答えは、それまでと変わらず“おかん”を続け、家の面倒を見て、将来は甘玉堂のおかみになると言うものでした。

10才の頃から、母親が出ていってしまい、学校にかよいながら家事全般を担い、10年間も母親替わりとして弟の面倒を見てきたつばさにとっては、夢と言われても、甘玉堂と玉木家の延長線上にしか将来を描くことは出来なかったのは当然のことだと思います。

そして、そういう他に選択肢のない中、あるいはそういうことを感じないまま、与えられたあるいは置かれた環境の中で一生を終える方は多いと思いますから、それはそれで否定されるものではないですね。


しかし、母親が帰ってきたことによって、つばさの人生に狂いがでて、家にとどまっていることができなくなったのは彼女にとっては想定外でした。

そういうことは人生において、生活の場にしろ、仕事にしろ、誰にでもありますが、やはり勝手知ったところ、居心地がいいところに少しでも長くとどまっていたいと思うのが人情です。

ですから、短大を出たつばさが家に居場所がなくなり、外に出るとは言ってもやむを得ず消極的な姿勢ですから、そこで夢とか希望とかいうものを簡単に見つけることができるものではないですね。


そのあたりの心情やプロセスはうまく描かれていたと思いますし、途中、翔太との恋の成就が夢になりかけるのも自然ですし、つばさの性分で、周りの人の問題をほかっておけなくてなんとかしたいと思い、行動するのも彼女の人柄から言ってよく理解できます。

実際の人生では、夢といってもふつうの人であれば、そう現実離れしたものを抱くことはできないのが、今の社会の実態ですね。

そういう中で、庶民の平凡な夢・・・、堅実な職について、結婚して、子供をつくってというようなことすら容易ではない時代ですから、つばさがたいした夢も抱くことができず、右往左往するのもやむを得ないと思います。


そういう状況の中で、紆余曲折しながらラジオぽてとでの仕事に当面の夢を見出すというのは現実的な選択肢として当然のことですね。

本人は一途ではないし、高い目標もないですから、ドラマのアドバルーンとしては、目立ちにくかったかもしれませんが、今の時代の空気をよく頭に入れた展開だったと思います。


「つばさの夢」というテーマからいくと、ラジオぽてとを通じての広場のひろがりと人々との絆を深めるというのは、最終回で地が固まって、これからがスタートという感じかと思いますが、はたしてつばさの夢が川越の人や我々に届くかどうかが楽しみですし、真瀬がいない中でラジオぽてとを背負って、彼女の性格、行動力からすれば、大きく羽をひろげて空高く舞っていくのではないかと想像したりします。


それは、あたかも女優多部未華子が、十代におけるさまざまな歩みを糧として、『つばさ』とシンクロしてようやく女優としての将来への夢を抱いたのではないかと思え、その想いがこれから見事に羽ばたいていくであろうことを予感させて、期待に胸がときめいてしまうのです。



タグ :

“ 森繁さんの記事 ”

 2009-11-14
日本の映画界の重鎮であった森繁久弥さんが亡くなって、いろんな言葉や評価を新聞で読み、気になったことを少し記しておきたいと思います。

森繁さんについては、とにかくうまくて、味があって、スケベェでもいやらしさがなくて、とにかく別格だなあという印象がありましたが、よく考えてみるとあまりまともに映画を観たことはありません。

ちょっと前に出世作だと言われる「夫婦善哉」を何本か観て、こんな役をやってたんだと思った程度です。

あとはドラマを何本か観たと思いますが、特に記憶には残っていません。

ですから演技がうまいのは分かっていますが、それ以上のことは、私にはコメントする資格はありません。


でも、書きたいなって思ったのは、森繁さんが言った言葉で、

「運は向こうから来るが、目をふさいでいては見損なう」というのが紹介されていて、なるほどなと思ったからです。

まさにそういうことなんですね。

勝手に運が良くなるなんてことはないわけで、絶えず自分が目配り、気配りをして、準備をしていなければいけないということですよね。

自分の人生を振り返ってみても、目標もなしにボーとしている時は何も変わらなかったですね。

うまくいかない時でも最大限の努力をして、かつ注意深く待つということがなければ、運が自分の元へ転がり込んでくるってことはないですね。

他力じゃダメだということです。

多部ちゃんだって順風満帆のように見えますが、彼女なりに当然のこととして精一杯の努力をしてきたからこそ、今があるのだと思います。


あと、多部ちゃんも同じようなことを言ってたなっていうのが、森繁さんが人から過去の出演作を観ませんかと言われた時に、「そんなものはもういい。終わった話しだ」と決して観ようとはしなかったということで、私も昔のことを振り返るのがキライですが、役者も前向きな人はやっぱり同じなんだなって思ったことです。

まあ、次から次へとすごい数の作品に出ているわけですから、そんなのを懐かしがっているとしたらそれはもう終わってしまっている人ですよね。

人間、死ぬまで前を向いて進んでいかなきゃいけないんだなあとあらためて思いました。


「偉大なる素人のような人」という記事もありました。

多部ちゃんにも言えるのかなって思いました。

いつまでもそういう女優、人間でいてほしいなって思います。


あと「過去の表現を踏襲しないで、具体的で自然だった」というのも、

多部ちゃんも一本一本考えて演じているでしょうから、やっぱりこういう感じじゃないのかな、あるいはこうあってほしいなって思いました。


そして、“健啖家”

90代でもステーキやフォアグラが好物で平らげたということだそうです。

食が細くて、あっさりしたものしか受け付けない私にはムリですね。

とても90過ぎまでは生きてはおれません(笑

多部ちゃんならわかりませんね。

食うことにかけては、人一倍貪欲ですからね・・・、イイことです(笑

うまいものを食いたい欲求には素直になればいいと思います。精神的にも満たされますしね。

食えばエネルギーが湧いてきますから、ふとらない程度にどんどん食べてください(それはないかw)


そして、いい仕事をどんどん観せてほしいと思います。
タグ :

マンスリーレビュー “ プレミア&リーガ ”

 2009-11-13
8月中旬からはじまったイングランド・プレミアリーグ'09~'10シーズンは、マンスリーレビュー2回目にして、私の当初の目標を大きく修正せざるを得ない残念な状況となってきました。

昨年、優勝したマンチェスター・ユナイテッドにあとわずかまで迫り、今年こそ優勝をと願っていたリバプールがスタートから大きくつまずき、先日のマンUとの直接対決には勝ったものの、その後また下位チームとホームで引き分け、優勝の可能性はリーグをあと7ヶ月ほども残してかなり難しいものになってきました。

そこで、冒頭に書いたように、早々に目標を修正することにしました。

その目標のひとつ目は、
リバプールはヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグ出場資格が当られる4位以内に入る。

あとのひとつは、
マンUの4連覇阻止をできればアーセナルがやってほしい、ということです。


ビッグ4の次にくるチーム、トットナム、マンチェスター・シティ、アストンビラなどが今年はかなり強いので4位以内に入るのは容易ではないですが、2014年まで契約を結んだベニテス監督には絶対にやってもらわないといけません。

今シーズンはベニテスの持ち味である堅い守備に乱れが生じているのが、非常に気になりますが、ジェラードやトーレス、カイトなどの攻撃の中心選手が揃えば、十分に可能だと信じています。

まあ、4強以外のチームが強くなって、番狂わせが起こるのはリーグが面白くなるので悪くないのですが、その結果としてはじき出されるのがリバプールとなると複雑です(笑


そして、優勝をしてほしいと願うのはアーセナルです。

下馬評では4位以内は危ないのではと言われた今年のアーセナルですが、開けてみればケガ人も復帰して、ベンゲルの狙い通り、若さに溢れ、組織力に優れたすばらしいチームとなって2位につけています。

同じロンドンのチェルシーが強力な選手がほぼ固定され、強固なチームとしてまとまった力を発揮していますが、できればチェルシーを上まわってアーセナルが優勝してほしいと願っています。

アーセナルがダメなら最悪チェルシーでもいいから、マンUの4連覇だけは阻止してほしいとまで思っています。プレミアがつまらなくなりますから・・・、


あと、リバプールは今年のCLのグループリーグ突破も非常に厳しい状況となっています。

ベニテスが就任した最初のシーズンにCL優勝を果たした時は、決勝のACミラン戦で0-3から大逆転するなど劣勢な状況から勝ち上がってスゴかったのですが、その再現は望めないでしょうか。

過去にもギリギリでグループリーグ突破を図ったことがありますので、わずかな望みを持っていますが、万が一敗退してしまうと、これから来年の6月までがかなりつまらなくなってしまいます。


一方、スペインのリーガですが、私の応援するバレンシアは今のところ、CL圏内の4位につけています。

バルセロナとレアルマドリードの戦力が突出していますので、この2強に食い込むのは難しいでしょうが、セビージャ、デポルティボ、マジョルカなどとの競り合いをしのいで、なんとか4位以内をキープしていってもらいたいと思っています。

ただ、気がかりなのが、スペイン代表として核になっているビジャとシルヴァが1月の移籍市場でマンUその他から狙われているということで、財政面が厳しいチーム事情からいくと不安も隠せません。

この二人がいなくなったら、4位以内に入るのは難しいでしょうね。


いずれにしても、予想や期待どおりにいかないのがスポーツであり、優勝した1チームのみが美酒を味わえるという厳しい世界ですね

それに比べれば、映画やドラマの世界は、好む人もそれぞれで、順位を決めるわけでもなく、興行成績や視聴率が目安ということですし、役者は視聴率が低くても、演技や存在感があれば、次の作品のオファーがあるということで、それに甘えていてはいけませんが、多部ちゃんも前向きに、舞台や映画に取り組んでいってほしいと思います。
タグ :

“つばさ考 ” 5

 2009-11-10
私は「多部マニア」になったのが、ブログをはじめたキッカケでしたが、いまやこうして“つばさ考”を書いていますと、すっかり自分が「つばさマニア」にもなってしまったなあと感じています。

そして、それは多部ちゃんの活躍で「多部マニア」が味わう至福の喜びをダブルで味わっているようなもので、こんなに幸せで本当にいいんでしょうかと神様にたずねたくなるくらいのハッピーな毎日です(笑


≪ つばさのセット ≫

先回はカメラワークについて書きましたが、今回は主につばさの生活空間となったセットについて触れてみたいと思います。

なんせ思いつくまま行き当たりばったりで書いていますので、忘れていたり、おかしかったりする部分があるかと思いますが、その辺は年に免じてご容赦を・・・(笑

このあたりのことは、公式ホームページやガイドブックでの対談などでも詳しいので、そちらを読んでいただいたほうが面白いかとは思いますが、私なりに思いついたことを綴ってみたいと思います。


まず「つばさ」はその舞台として選ばれた街、川越自体がすばらしいので、この段階でドラマの成功の基盤は出来ていたのだと思います。

そしてドラマのテイストが昭和の香りを漂わせているのも、街のイメージからのひろがりで、甘玉堂やラジオぽてとなどの主要なセットが懐かしさの中にも庶民の生活感を漂わせているのがいいですね。


旧甘玉堂にしても新甘玉堂にしても、居間と台所、作業場と店舗、居間を出てトロッコを越え庭から外の世界につながっていくところなど、つばさや知秋の部屋に通じる階段から2階の廊下、さまざまなエピソードの舞台となる2階の屋根など、ポイントとなる部分はしっかりと考察され、印象的な空間となっています。

特に屋根は、つばさが実際に高い屋根の上から川越の街を見下ろしたり、CGで時の鐘の上にも乗ったり、つばさが今にも羽ばたいていきそうなイメージと開放感があらわれていて効果的に使われていますね。


2階の廊下から手すりをまたいで屋根に降りる時、つばさはいつも靴下を履いていて、すべるのを気をつけながらというのが、何回見てもハラハラしますし、つばさが立った時にバランスを崩し落ちるとそれを斎藤が受け止めるという演出も、万里とお酒を飲むシーンなんかの不安定さや、ラジオの男からのつばさと万里のショットなど、こだわった観せ方がいいですね。

でも、なんと言っても白眉は、万里の「玉木つばさ チャチャッチャ チャチャチャ!!」ですね(笑


もちろんいろいろと指摘されている置物や飾り物へのこだわりやお遊びは言うまでもなく楽しいです。
旧の甘玉堂では居間の柱のたけくらべの古い値札シールが良かったですね。

さらに、新甘玉堂の周辺、宇津木家のステンドグラスや飾り物、自動車、そこに組まれたバリケードと多部ちゃんが書いた「賛否両論か」のアジびらなど、そして家の前の通路は角のうなぎやからの煙で時にかすみ、木枯らしとともに落ち葉が舞って、加乃子や竹雄がつばさの帰りを心配したり、つばさが万里と遭遇したり、さまざまなストーリー展開の磁場としていい空間を形成しています。


対照的にラジオぽてとは、以前映画館であった川越キネマが舞台ですので、ロマンポルノに出てくるようなレトロでちょっとケバイ外装であるが、それが甘玉堂の商売と生活が一体となった落ち着いた雰囲気とは逆に、ざびれてはいるけれど何かが起こるエネルギーを秘めているというちょっと不気味で不思議な空間としてよく出来てると思います。

待合室にあるビリアード台も食卓になったり、机がわりになったり、作業台になったり大活躍で、こじんまりとしたスタジオと待合室、さらに外部との関係性もいいです。


さらに優花がいつもムリに足を伸ばして1段ずつ上がったり降りたりがカワイイ曲がり階段、2階の通路、真瀬の部屋、映写機などはもちろんのこと、解放的な屋上も甘玉堂の屋根がどっちかというと暗い印象に対して、明るい特徴的な場面での演出に活かされて、印象に残るスバラシイ空間でした。

特に屋上から小さな時の鐘が見えるのがいいですね。

ここでは、なんと言っても浪岡の歌で踊るつばさが最高ですが、それ以外にも真瀬や二郎や優花や翔太や伸子、それに甘玉くんのかぶり物で登場したり、明るい場面の印象が強いですね。

「女系図」の時だけ使われた劇場も小ぶりですがレトロな感じで、いい雰囲気でした。


キネマの前も自転車置き場と、なんでここに電車の先頭部分だけ置いてあるのっていう不思議な空間・・・千波が中で踊っていたのが印象的でした。そして通路が突き当たって右に行くことによって、外部のいろんな世界につながっていくところなど忘れられません。

というように、つばさの生活の主な場となった2ヶ所は、本当にこだわりを持って、愛情を込めて造形されたということが伝わってくる夢を与えてくれる空間ですね。


それ以外にも、鈴木清順の作品を思い起こさせる斎藤の事務所、鈴本スーパーの事務所、こえどや上野の安宿、紀菜子の家、そして城之内の豪華な部屋などそれぞれが人物描写と同様に丁寧に造形され、描かれているところがトータルでの完璧な「つばさワールド」になっていると思います。

タグ :

“ オフサイド・ガールズ ”

 2009-11-08
大分前にWOWOWで観た、イラン映画の「オフサイド・ガールズ」について書いてみたい。

この作品は、上映された頃にいくつかの映画評を読んで、非常に興味深く、面白そうで観てみたいと思っていた作品でした。

おおまかな話しは、女性がサッカーの観戦を禁じられているイランで、ワールドカップ最終予選のバーレーン戦をなんとかして観ようとする女性たちとそれを取り締まる兵士をめぐるこっけいだけど、笑ってすますことの出来ないペーソスとある面の希望を感じさせるグッドストーリーです。


実際に競技場には、千人くらいの女性が変装などして、まぎれ込んでいたようですが、物語の主人公たちは運悪く警備兵に見つかり、競技場の観覧席の裏の通路に設けられた仮設の柵の中に閉じ込められてしまうのです。

女性たちは入場時に見つからないように、顔にイランの国旗をペインティングしたり、帽子をかぶったり、男っぽく見えるような服を着たり、中には兵士の服を着て観覧席にまぎれ込んだり、さまざまな工夫をしているのですが、運悪く見つかってしまった10名ほどの女性が、見張りの兵士と試合を見せろ見せないのやりとりのどたばたや、観客の大歓声や通路から試合を見ている兵士による口頭による実況など、競技の映像はほとんど映されず、ちょっとイラつきますが、そこが監督の狙いでもあるようで、うまくエピソードを積み上げています。


日本でもワールドカップとなると盛り上がりますが、中東の国のサッカーへの国を挙げての想いというのは、私たちの想像を越えるものであることが、この作品を見ていてよくわかりますし、そういう中で女性が差別されるということがいかに理不尽かが、ユーモアを交え、粘り強く描かれています。

イスラーム諸国では、女性がさまざまな規制を受けており、そのことを遅れているとか、人権を無視しているとか言うことは簡単ですが、そうなっている宗教的・歴史的な背景や国の状況などについて、考えてみることも必要だとは思います。


私は、30代の頃にアラブ人の新聞記者の書いた本を読み、イスラームに興味を持ち、さまざまな書籍を読み、一時期かなりドップリとつかっていました。

もともとが、さほど熱心ではないクリスチャンのウチに生まれたのですが、子供の頃から教会に行かされることがキライで、高校もミッション系だけど、結局アンチ宗教になり、イスラームの教義を読んだ時は、新鮮でちょっとショックを受けた経験があります。

偶像崇拝の禁止とか、飲酒の禁止、毎日5回メッカの方角に向かって祈ったり、貧しい人に喜捨したり、ラマダンの1ヶ月間日の出ている間は絶食したり、といった厳しい義務は、信仰と生活が密接ではなく、自然環境に恵まれた日本人には、理解しがたいものがありますが、イスラーム発足の当時、灼熱の砂漠で放牧生活をする民が自らを律し、仲間と結束を固くして生活していくためには、必然であったのかなとも思います。


この映画に描かれる女性の差別問題は、多くのイスラムの国の中でも温度差がありますが、もとはこの宗教が起こった7世紀頃は、戦争続きで未亡人があふれ、それを救うために4人までの妻帯が認められ、女性が男性に比べて保護されるべき弱い立場であったこととか、肌を見せて男に余計な刺激を与えることよって、さまざまないさかいが起き、そういうことがないよう肌や髪を見せることを禁じたりとか、という経緯があり、現在では聖典クルアーンに書いてあることを、厳格に解釈するサウジやUAEなどの国と、トルコなどのようにゆるやかに解釈する国といった違いがあります。

イランは比較的厳格な解釈で、アメリカなどと対峙したりしていますが、大衆レベルではさまざまな思いがあり、この映画のような問題提起がされるのだろうと思います。
イラン映画はいい監督も多いし、すばらしい作品がイッパイあります。


映画のクライマックスは、女性たちを警察へ護送の途中、カーラジオから流れるゲーム終了とイランがWCへの出場を決めというアナウンサーの声が聞こえたと同時に、街頭でTVを見ていた群集がお祭り騒ぎとなり、花火や音楽や踊りやで、車が立ち往生し、護送車の中へも爆竹や飲み物を持った大衆が乗り込んできて、一緒にお祝いのお祭り騒ぎとなり、みんなで盛り上がる中、いつの間にかつかまっていた女性たちは車を降りて、騒ぎの中に紛れ込んでいく・・・・・。

といったエンディングで、余韻を残してさまざまな事柄を私たちに投げかけてきます。


こういった作品は政治とか宗教とか、さまざまな縛り、制約がある中でしか生まれないもので、今の日本の状況と比較してうんぬんということは難しいのですが、多部ちゃんもアンテナを張りめぐらして、こういうちょっと変わった作品にも触れてみるのもいいんじゃないかと思います。
タグ :

“つばさ考” 4

 2009-11-06
≪ つばさのカメラワーク ≫

私が「つばさ」の演出でまず感動したのが、カメラワークです。

カメラワークというのは、演出者にとっては、意図するお芝居をどう役者に演じてもらうかということと同じくらいに作品のテイストを左右する重要なものだと思います。

私の好きな監督、小津さん、溝口さん、鈴木さん、相米さんなどは、カメラワークにこだわってスバラシイ作品の数々を創っています。

そういう作家になると、カメラワークがその人のアイデンティティとも言えるぐらい作品に特徴を持たせるものでもあります。

しかし日活ロマンポルノみたいに、いかにアップを多用するかに力点を入れる作品でも、カメラワークにこだわった前衛的な作品がたくさんありました。


我々観る側は、ストーリーに気を取られていると、つい映像のユニークさを見落とすことがありますが、映画は総合芸術ですからシナリオ、キャスティング、演技、映像、音響などすべてがうまく揃って、いい作品になると思います。

その中で監督が自分の特徴、あるいは訴えることを表現しやすいのが、映像だと思います。

アップなのか、引きなのか、俯瞰なのか、あるいは「夜ピク」のイントロのように手持ちカメラで多部ちゃんが歩いていくのを延々ワンロールで撮るのか、そこまでこだわらなくてもストーリーがわかればいいんじゃない、って言ったらお仕舞いですね。


基本、映画はドキュメンタリーを除いて、フィクションですし、ファンタジーですから、創るほうも観るほうも創作をどれだけ楽しむかという観点が大切ですね。

やはり印象的な映像は、我々観るものの脳裏にインプットされて、それが作品の心地よい印象としていつまでも残っていきます・・・ストーリーよりもそれが先に浮かんできたりします。

「セーラー服と機関銃」のクレーンを使った有名なイントロなんかはもうシビレちゃいます・・・他にもあげたらキリがありません。

時にはカメラ目線で映像を観てみるということも楽しいものです。


で、総じてテレビドラマでは、基本俳優のアップをある程度見せるというお約束があるのか、カメラワーク、映像にこったものは多くはないですね。

その点、大好きなクドカンの作品は思いっきり遊んでいて好きです・・・、特に「木更津キャッツアイ」なんかは最高です。


そして、「つばさ」が挑んだチャレンジも、朝ドラという視聴者層が比較的狭い保守的な性格のドラマに、総合芸術として、脚本のキバツさと、それを視覚的により面白く効果的に描くため、出来る限りの努力を払うという姿勢がカメラワークにも感じられました。

特に印象に残ったのは、

 ・新河岸川の土手を使っての、クレーンカメラによる移動、俯瞰映像のシーンの数々
 ・周波数を探す場面でのアップから引きの映像や電車を入れたりするシーン
 ・お祭りが終わって、街でひとり寂しくたたずむところを俯瞰でとらえるシーン
 ・ぽてとの取材テストで、玉木家の面々にマイクを持って話しを聞くところを手持ちカメラで追っていくシーン
 ・お茶の間の長い芝居をワンシーンワンロールで、ゆっくりとカメラを移動しながら撮るシーンの数々

など、他にもイッパイあります。


それほど、「つばさ」は映像というものを、テレビ的ではなく、映画的な手法にこだわって丁寧に創ったことが伝わってくる作品です。

その取り組みの姿勢が、総合芸術の中の一側面ではあるものの、作品にパワーを与え、チャレンジ精神を感じさせてくれる重要な手段として成功していると思います。
タグ :

“ いまからでも遅くない秋ドラ ”

 2009-11-03
この秋のドラマは、全部をチェックしていません。

というのは、はじまる前から必ず観るっていう作品がハッキリしていたのと、逆に内容関係なしに観たくないというのが何本もあったからです。

ここに取り上げた作品以外は1回も試し観をしていません。
その理由の主なものは、主演の俳優が見たくないというワガママなものです(笑

それとシリーズ化されている連続ドラマはまず観ません・・・、評価の定まったもの、それを維持しようとする創りに刺激を感じないからです。

私にとってテレビドラマは、音楽のライブやサッカーなどと同様で、そんな入れ込んで観るものではなく、テーマや創りが新鮮で面白く、加えて役者が良かったらラッキーっていう程度ですから、映画を観る時の構え方とは違います。

ですから、少しでもマイナスの要因があるものは、時間がもったいないので観ません。


で、この秋観ているのは、「JIN~仁~」、「不毛地帯」、「チャレンジド」、「東京DOGS」、「小公女セイラ」、「アンタッチャブル」、「ママさんバレーでつかまえて」の7本です。

上の順番は、いまのところの気に入っている順です。


まず、この秋というか、ここ数年のドラマの中でも、突出した存在になりそうなのが、「JIN」です。

「鹿男」にあった得体の知れないワクワク感を久しぶりに感じています。

タイムスリップものはよくあるのですが、何故スリップしたのか、現代に影響を及ぼすのか、幕末の著名な志士や医者とのかかわり、仁を取り巻く女性達、不気味な赤ちゃんの存在など、今後どう展開するのか、何が明かされるのか非常に楽しみです。

役者もいいです。「ICHI」のコンビ、大沢さんと綾瀬さんはもちろんのこと、現代物よりずっといい中谷さんの花魁、内野さんの龍馬ほかみんな活きています。

脚本を活かす演出も見逃せません。第3話では、「つばさ」に影響されたような子供時代の花魁が吉原の屋根の上から俯瞰する映像が見事でした。


我らが多部ちゃんの「不毛地帯」も、正統派ドラマとしていいスタートを切りました。

と言ってもストーリーのことで、残念ながら視聴率はいまのところ苦戦しています。カタい、なじみにくいテーマに女性が敬遠しているのでしょうね。

その辺に訴えようと家族の話し、直子の恋愛にもウェイトが置かれるようですから、多部ちゃんファンとしてはいろいろと楽しめそうです。

石田くんはみんなが書いているようにな~んだって感じでしたが、彼も最近メキメキと頭角をあらわしてきているので、まあ妥当かなってところですね(笑

ロングランですので、長く楽しめそうで、乞うご期待です。


「チャレンジド」は、佐々木さん演じる盲目になってしまった教師が、担任となって困難を乗り越えていくというNHKらしいストレートな作品です。

人物描写もしっかりしているので、素直に感動しながら観ています。

キャストでは、いままで名前と顔が一致しなかった村川さんが好演で、識別できるようになりました(笑
あと、夏未エレナさんが意外やイジメ役で期待の若手らしく存在感を発揮していてイイです。


「東京DOGS」は、当然のように視聴率トップを走っていて、話題の3人のキャスティングとストーリー、演出がうまくマッチしてます。まともな話しの中にちょっとボケを入れるのが好きですね。

小栗さんがなかなかいいし、もちろん吉高さんもらしくていい味をだしています。


「小公女セイラ」は視聴率は低調ですが、陳腐なお話し、演出にはならず、結構気にいっています。

セイラのイジメられ方が、氷水を頭からぶっ掛けられたり、トマトを何個も顔にぶつけられたり、徹底しているのがいいですね・・・、志田さんは大変です(笑

ポイントになる役者、志田さん、樋口さん、斎藤さん、林さんなどがみんな活きています・・・、広岡さんも・・・、


「アンタッチャブル」は週刊誌でたたかれていましたが、確かにどっかで見たようなっていう仲間さんが、いまひとつハジケてないですね。

まあ、一度ついたイメージを引っ張るのも変えるのも難しいなっていうのと、30の壁をうまくくぐり抜けるのは仲間さんといえども大変なんだなって感じを持ちました。でも最後まで見届けるつもりです。


「ママさんバレーでつかまえて」は、久しぶりのシットコムということで観ています。

作劇のスタイルもありますが、やっぱり脚本次第ですね。

三谷さんが創った「HR」でもそうでしたが、面白い時とそうじゃない時の落差が大きいのが難しいところです。


ということで、はじまったころは全体にもっと盛り上がるかと思いましたが、ここに来て毎度のように数本ががんばってるっていう程度ですね。


多部ちゃんを「つばさ」に続いて、週1でも、わずかな出番でも、観れるのはやっぱりうれしいです。

そして、次は舞台、「ラブレターズ」や「農業少女」が待ってるかと思うと、ヤル気に溢れていて、本当に女優としての成長が楽しみです。


タグ :

“ つばさ考 ” 3

 2009-11-01
 ≪ つばさのキャスト ≫

「つばさ」のキャスティングは、メインから脇まで、実に的確に行き届いていて見事だったと思います。


 ・重い人から、軽い人まで、それぞれの立ち位置が明確で、みんな活きていました。

 ・シリアスっぽい人から、コメディーっぽい人まで、バランスがよく取れていました。

 ・朝ドラに相応しいと思える人から、意外と思える人まで、うまく調和が取れていました。

 ・演技上手の本格派から、演技は置いといてもスパイスの効いた存在まで、ごった煮感がドラマにエッジを効かせていました。

 ・今大活躍の人から、久しぶりだけどやっぱりピリッとしまる人まで、楽しませてくれました。

これだけ、多くの役者が出ていて、2~3週だけ出演の人まで含めて、そのほとんどが活き活きと描かれているというのは、制作者が「つばさ」というドラマへの愛情に溢れていたからだと思います。


そして、やっぱり彼女が彼女でなければ「つばさ」は成り立たなかったのが、我らが多部ちゃんですね。

まさに梅雀さんじゃないけど、「ホントにあんたはよくやったよ」です。

あれだけの飛んだストーリー、ハチャメチャな演出の中で、ふつうならバランスが取れなくて不安定になるところですが、心の中で悩んではいても、そんなことは微塵も感じさせない見事な演技でした。


脚本も演出も大切ですが、やはりこれというキャストを選ぶことによって、生身の演者を想定して、本や演出に一層輝きがでてくるということを強く感じました。


「つばさ」を創るにあたっては、まずはじめに高畑さんが決めてあったと、後藤CPが話していました。

それは話しの内容は未定でも、彼女の個性を活かそうということにしていたのか、あるいはプロットを組み立てていく中で、彼女が最適ということになったのか、まあそのどちらであったとしても、結果としては彼女の存在が良い意味でも悪い意味でも「つばさ」のキモであったと思います。

ある意味怪演であり、あの難しい役を精イッパイよく演じたと思います。

加乃子の演技のふり幅の大きさが、視聴者を引き付けたのと同時に、振り落としもしたということは間違いないですね。

でも、あれぐらいやらないとこのドラマの面白さは描けなかったと思います。

加乃子とは対照的なつばさの存在も引き立ってこないし、だから加乃子が主役みたいだったと言われても、主役というものをどう見るかによって違うわけで、全然構いません。


そして、加乃子に従う存在としての竹雄、一方で対峙する存在としての千代、悩みながらも家族のバランスを取ろうとする知秋、その中で右往左往するつばさを陰で支えるラジオの男、それぞれの存在がひとつの物語を創れるほど際立っています。

もうひとつの家族“ラジオぽてと”のほうも、官僚を辞めてまでラジオに夢を持つ真瀬、真瀬とつばさのキューピット優花、しっかり者の伸子、芸人への夢をあきらめない二郎、つばさに好意を持つ怪人浪岡と、みんな活き活きとしています。

このふたつの核にからむ、万里と泰典と佑子、宏夫と俊輔、斎藤興行の3人、翔太と佐知江、麻子の日常的な存在もいい。

スパイスとして挿入されるみちる、葛城、紀菜子と富司、麻子の父、翔太の父、伸子の夫、そして城之内と、物語の牽引役として、いい味をだしています。


これだけ多くの役が、みんなキャラが立っているのは見事です。本もいい、演出も見事だと思います。


そしてそれぞれ個性の濃さを十二分に活かした役者の中で、ゆれることなく、動じることなく、さん然とスタンドアローンの存在であり続けた多部未華子さんはホントウに本当に最高でした。
タグ :
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫