“ 引きの美学 ”

 2013-07-15
とかく世の中、出過ぎ、やり過ぎの傾向が強いです。

セチガライ時代で、特にそういう傾向が目立つ感じがします。

また、そういう人が結構目立ち得、やり得をするというのが、ムカつきます。


それは役者も芸能人も同じで、数撃ちゃ当たるという発想がミエミエで、どうもそういうのにはついていけません。


これはという仕事、作品に絞って的を射るということは、難しいとは思いますが、少なくとも役者と言われる人は、そういう気概を持って作品にたずさわってほしいなと思います。

そういう面で、今の時代は押しの強い人が多いですから、むしろ引きの戦略で望むのも手ではないかなと思います。


引きの姿勢は、ヘタすると消極的とかヤル気があるのかとか、時には生意気だとか言われる恐れがありますが、本物の資質を認められた人であれば、むしろ好印象につながる場合もありますね。

それは、露出の度合いもそうですし、また演技における側面もあると思います。


役者は、出演の依頼が来たときに、どの程度自分の考えを通すことができるのか、人それぞれだとは思いますが、ある程度自分の希望を通すことができるように周りから認められる存在になっていってほしいですね。

どういう作品に出るのかというのは、非常に重要な部分だと思います。

役者はその作品の中のパズルのひとつですから、いくらひとりでがんばっても、いい作品になることが保証されるわけではないですからね。


演技に関しては、多部ちゃんはもともと自分から前に出ようとするタイプじゃないし、自然体で、それでいて的確に演じるからいいと思いますが、とかく押しの強い演技で、目立とうとする人もいますから、そういう人との差別化を図る意味では、物足りないぐらいの自然体の演技でも緩急がつくし、多部ちゃんの存在感があれば、十分いいお芝居になるのじゃないかなって思います。

彼女の初期の作品においては、自然体の演技に惹き付けられましたからね。


それは、まだ演技がよくわからないとかっていう要因もあったかもしれませんが、持って生まれた感性と自然体の引きの演技が監督や私たちを魅了したのだと思います。


『つばさ』あたりから、押しの演技も身につけてきて、いまはどちらもOKだと思いますが、やはり多部ちゃんの個性は、目ぢからに象徴されるように画面にあらわれただけで発揮する存在感ですから、演技はたえず“引きの美学”を意識してほしいなって思います。




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